そのようなトレーニングにもかかわらず治るとすぐにトレーニングを再開します。さらにボディビルにおいて必須とされる減量をかなり過激に行なってしまったためなんども救急車で運ばれていました。

その原因は電解質不足や低血糖だということでいかにギリギリの方法で自分を追い込んでいたかわかるエピソードです。

120kmを走って減量

マッスル北村 伝説のバルクアップトレーニング 2012年 10月号 [雑誌]

一番有名なエピソードがアジア選手権での減量です。実業団選手権に優勝後、4日後に別大会のオファーが急遽入り本人もそれを了承します。

しかし大会に出た直後で疲れ切っていた北村氏は「筋肉に張りを持たせ、少しでもいい状態で大会に出よう」として食事をするのですが食欲をコントロールできずドカ食い。2日間で85kgから13kg増の98kgまで太ってしまいます。

一か八かマッスル北村氏は賭けに出ます。それは100km先の山奥まで行きそこから自宅まで走って帰るというもの。足の爪が剥がれ、シューズが血で染まるほどでしたが15時間かけて120kmを走り抜き14kgの減量に成功します。

そしてアジア選手権で見事優勝。体重を落とすには確かにその方法しかないとはいえ、棄権せずに走って減量をしようという考え、精神力には驚かされます。

減量のしすぎで急死

砂時計

まさに肉体を凌駕した精神力を持ったマッスル北村氏でしたが、ボディビル選手権へ出場するため20kgの急激な減量を行なった結果、低血糖状態となり急性心不全で亡くなってしまいます。

実の妹が身を心配し飴を舐めるように言っても、「そんなカロリーでさえ摂取したくない」と断ったほど。

死亡時の体脂肪率は3%以下であり、事実上は「餓死」ともいわれています。

まとめ

マッスル北村メモリアルBOOK―孤高の筋肉求道者 (B・B MOOK 1220)

出場した大会ではほとんどが優勝または上位に食い込んでおり「日本人最高のバルク」ともいわれたマッスル北村氏。生きていれば今以上の伝説を残したことは間違いなでしょう。

彼のトレーニングははたから見れば無謀極まりないものでしたが、彼はそれをやり遂げています。その肉体の強さと精神力はまさしくストイックそのものであり誰も彼を真似することはできません。

しかしその結果と若くして終えた人生が彼を伝説とする理由なのではないかと思います。

  

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