「昭和最後の大横綱」といわれた千代の富士関の強さの秘密をご存知ですか?
千代の富士関は今もなお力士の中でも憧れの存在です。
こちらでは「筋肉の鎧」と言われるほど鍛え上げられた筋肉をつくりあげたトレーニング方法について詳しくご紹介しましょう!
また千代の富士関の現役時代最大の悩みであった脱臼癖を克服した方法についても迫ります。
ぜひこちらの内容を参考に勝負にも負傷にも強い力士を目指して下さい!
千代の富士関のプロフィール
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千代の富士関は本名秋元貢として1955年6月1日に北海道松前郡福島町に誕生します。
こちらでは「ウルフフィーバー」まで巻き起こすほどの人気を誇った千代の富士関のプロフィールについてご紹介しましょう。
角界入門への意外なエピソード
10年もの間横綱の座を守っていた千代の富士関は、意外にも幼少の頃から角界に憧れていたわけでは決してありません。
中学一年生の時に盲腸炎の手術を受けたが、秋元少年の腹の筋肉が厚いために手こずって、予定を大幅に上回る長時間の手術になってしまい、終了直前に麻酔が切れてしまった。
それでも必死に耐え続ける体格の良い秋元少年を見た病院長が見出し、千代の山の入門の世話をしたことがある若狭龍太郎に連絡した
飛行機にどうしても乗りたいがために、家族の反対を押し切って九重部屋に入門を決めた。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/千代の富士貢
これが千代の富士関関誕生につながったのです。
輝かしい功績
こちらでは千代の富士関が収めた輝かしい功績についてご紹介しましょう。
通算成績:1,045勝437敗159休(通算勝ち星は歴代3位)勝率.705
幕内成績:807勝253敗144休(幕内勝ち星は歴代3位)勝率.761
横綱成績:625勝112敗137休(横綱勝ち星は歴代3位)勝率.848
大関成績:38勝7敗 勝率.844
現役在位:125場所
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/千代の富士貢
更に千代の富士関は通算優勝回数も歴代3位に上るほどの功績を収めています。
全勝優勝:7回(北の湖と並んで歴代4位タイ)
連覇:5連覇(1986年5月場所 – 1987年1月場所)
場所別優勝回数(東京場所:13回(蔵前国技館:2回、両国国技館:11回)、地方場所:18回)
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/千代の富士貢
千代の富士関の強さの秘密
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千代の富士関は最大に増量したときでもわずか127kgほどの体重であり、力士としては小柄な体格であったことが知られています。
しかし、千代の富士関はこの体格を欠点とすることなく31回の優勝を収めて更に10年間もの長期間に渡って横綱の座を守ってきたのです。
こちらではこれほどの強さを維持することのできた千代の富士関の強さの秘密について迫っていきましょう!
稽古では「四股」を重視していた
千代の富士関は基本に忠実に稽古していたそうです。
特に美しい所作とともに四股も当時の他の力士には珍しいほど高く美しく足が上がっていたことは人気の理由の1つにもなっていました。
このような四股を美しく行うことができるのは体幹の筋肉が鍛え上げられている証拠でもあります。
千代の富士関は稽古でも四股をしっかりと実践して体幹や下半身の強化にも努めていたのです。
「てっぽう」も大事にしていた
千代の富士関は、相撲部屋にある太く大きな柱を用いた稽古方法である「てっぽう」も大事に取り組んでいたそうです。
てっぽうによる稽古は上半身を鍛えあげることに適しているため脱臼壁のあった千代の富士関は特に重視していたといいます。
出稽古の率先者
千代の富士関は現役時代に琴風関(現:年寄・尾車)との取り組みで負け続けてしまう時期がありました。
そこで千代の富士関は「勝つことができない理由」を探るために出稽古を申し込み、琴風関がいる場所のどこでにも駆けつけたそうです。
このときには強くなることを目指し続け、嵩むタクシー代金も惜しむことはなかったといいます。
現役時代は脱臼癖に悩む時期もあった
千代の富士関は、幕下時代に初めて肩が抜けたときに自然と肩が入ったことから治療を受けなかったそうです。
このように適切な治療を受けずにいたことや力まかせに強引に投げ飛ばす取り組み方が原因となり現役時代に何度も肩を脱臼する癖がついてしまったといいます。