最近のサッカー日本代表は男女とも非常に強さを増しています。
男子の方はFIFAランキング27位と一気に23ランクアップ。加えてアジア勢ではイランに続き2位と好調さが窺えます。
ここ数年はずっと50番台以下でしたが、一気に抜け出して躍進を遂げています。
女子の方も、澤穂希選手や宮間あや選手が日本代表から退団して一時的に戦力が落ちたものの、若い選手が育ってきて現段階でFIFAランキング6位となっております。
これから東京オリンピックも控えていますし、いよいよ他国との争いはもちろん日本国内でも激しいポジション争いが繰り広げられることは必至です。
その激しい競争を潜り抜け、東京オリンピックに出場できるメンバーを一挙紹介していきます。
男子のみ採用されている年齢制限
オリンピックのサッカー競技では、男子にのみ採用されている年齢制限があります。どのようなものがあるのかをご説明します。
基本的には23歳以下のみ出場可能
オリンピックの男子サッカーは23歳のみ出場可能となっています。
何故サッカー競技だけ年齢制限があるのか。それは国際オリンピック委員会(以下IOC)と国際サッカー連盟(以下FIFA)の対立があったのです。
オリンピックを盛り上げたいIOCとワールドカップの存在意義を確立したいFIFA
元々アマチュア選手の大会として1896年に第1回アテネオリンピックが開催されました。当然オリンピックではアマチュア世界一を決める大会として非常に高い注目を集めていました。
それからしばらくしてFIFAが設立され、1930年に第1回ワールドカップがウルグアイで開催されました。この大会はプロ、アマを問わず強い選手が出場できたのです。
結果ワールドカップは「実質世界一の国を決める大会」としての地位を固めていきました。
一方ワールドカップの開催によってオリンピックにおけるサッカー競技の衰退を危惧したIOCは、1984年のロサンゼルスオリンピックからプロ選手の解禁を行ったのです。
お互いの利害関係が対立したIOCとFIFAの折衷案
オリンピックにプロの選手が出場できるとなると、ワールドカップの地位が脅かされます。そこでFIFAはワールドカップに出場した選手にオリンピックへの出場資格を与えなかったのです。
こうなると両者足の引っ張り合いになり泥沼状態になります。そこでIOCとFIFAが出した折衷案が「オリンピックには23歳以下しか出場権がない」というルールです。
このルールが適用になることで、「オリンピックのサッカー競技を価値あるものにしたい」と願うIOCと「ワールドカップの存在意義を守りたい」と願うFIFAの両者が妥協しながら共存していけることになると判断され、1992年のバルセロナオリンピックから導入されました。
アトランタオリンピックから3人のオーバーエイジの選手の出場も認められる
バルセロナといえばサッカーの本場です。そこでオリンピックが開催しサッカー競技が行われ、しかも優勝したのは地元スペインとなれば大盛り上がりだったでしょう。
しかし実際はそうではなかったのです。
バルセロナオリンピック大会の総動員数が過去の大会と比較して非常に少なかったことが判明。
IOCはこの事実の原因を「若い選手だけで大会を開いても知名度も技術も低く、魅力に欠ける為」だという見解を示しました。
その抗議を受けた形で、次回1996年のアトランタオリンピックから、23歳以上の選手(over age)を3人まで出場可能にするという特別ルールが施行されたのです。
その他のオリンピック特別ルール
この他にもオリンピックのサッカー競技には特別ルールがいくつかあるのでご紹介します。
登録人数は18人
FIFAなどが主催する国際試合では23人である登録人数が、オリンピックでは18人と少ない人数になっています。
何故国際試合と同じ23人にしないのか理由が気になるところですが、IOCは具体的な理由には触れていません。
恐らく前述のようなIOCとFIFAの利害関係が絡んだ何かがあるのだと推測されます。
キーパーの登録は最低2人
国際試合では最低3人と決められているゴールキーパーの登録も、オリンピックでは2人になっています。
登録人数が少ないとはいえゴールキーパーは替えがきかないポジションであり、怪我や急病などで欠けないようにしたり、オリンピックの過密スケジュールを2人だけで組むのは非常に大変なようです。
男子サッカー:冨安健洋(ディフェンダー)
https://twitter.com/footballmatome_/status/1101693855076962304
中学3年次に飛び級でアビスパ福岡のトップチーム練習に参加
小学生の頃から持ち前のスピードとサッカーセンスが光っていた冨安選手は、中学3年の時に現在J2リーグであるアビスパ福岡のトップチームと練習を共にすることになります。
年齢的にもジュニアで練習を積むべき時期に、異例の飛び級抜擢になりました。
高校2年次に天皇杯で公式戦デビュー
その後も冨安選手の活躍は続き、高校2年という早さでアビスパ福岡に2種登録されて天皇杯で公式戦デビューを果たしました。