マッスル北村とは?
マッスル北村とはボディビルダー、タレントとして活躍しながらも39歳という若さで亡くなった人物です。本名は北村克己(きたむら かつみ)。
他人から見れば過酷極まりないトレーニングを常にやり続け、伝説とまで言われるマッスル北村氏。亡くなって17年経った今でもその人柄やトレーニング内容は語り継がれています。
まさにボディビルに捧げたと言っても過言ではない食事と減量、そしてトレーニングを見ていきましょう。
ボディビルディングに出会うまで
高校時代
自転車に熱中していた高校時代は進学せずに競輪選手になりたいと思っていたほど。競輪選手になるためのトレーニングとしては「200km先の目標地点まで自転車で休憩なしに漕ぎ続ける」という無謀極まりないトレーニングでした。
このトレーニングを自分自身で考えたのですからこの頃からストイックさの片鱗は出ていたに違いありません。しかしその後競輪選手との練習で「自分は足下にも及ばない」と競輪選手の夢を諦めます。
次にボクシングにチャレンジしましたが視力が悪かったこと、性格が優しかったこともありこちらも諦めることになります。
その後、現役で防衛医大と早稲田大に受かっていたにもかかわらず二浪して東大に進みます。ストイックさだけでなく頭の良さでも秀でていたことがわかります。
大学時代
東大に入学してボディビル部の先輩と出会い勧められるがまま大会に出ることになります。しかし体重が55kgしかなかった体では当然張り合うこともできず、恥ずかしい気持ちと情けない気持ちでいっぱいだったそうです。
その気持ちもしばらくすると消えて今度は激しい怒りに変わりました。「筋肉を大きくするためならなんでもした」と北村氏が語るようにそのトレーニングはまさに常識を超えたものでした。
普段の食事以外にプロテイン300g、卵20〜30個などのタンパク質を毎日摂取するようにしそのために消化剤まで使用したほどです。それだけでは足らずミキサーにかけた鶏肉のペーストも摂取していました。
現代では考えられないような食事をとり続けた結果なんと10ヶ月で40kgもの増量をして、2年後に行われた大会では圧倒的な実力で優勝を果たします。
トレーニングは過酷そのもの
ボディビルトレーニングのために大学の授業には出席せず、中退してしまいます。「僕には時間がない」が口癖だったマッスル北村氏の異常とも言える努力主義はそのトレーニング内容に現れているといってもいいかもしれません。
低血糖で何度も救急車で運ばれる
普通はどんなトレーニングであれ、回数を決めて行うものですし怪我を防ぐために最大限の予防策はするものです。しかしマッスル北村氏は胸や腕の筋肉が断裂するほどの過酷なトレーニングを行っています。